第4次中東戦争

 

第4次中東戦争 1973年


軍事史
戦史
政治史とも言える本を読んだ
シリアとエジプトによる奇襲先制攻撃により
一時的に(2週間前後)イスラエル軍
劣勢に陥り首都まで攻め込まれるのか?と
軍指導部は恐れた。

結果論としては窮地を脱し反撃に出て
軍事的勝利を収めたイスラエルだが
代償も大きかった。

人口が少ないために同じ戦死者数でも
国民一人当たりでは3倍に換算され
相対的な人的犠牲はイスラエルが大きい。

奇襲開戦の兆候を見誤った軍指導部は
<調査委員会>により糾弾され参謀総長
モサド、方面軍司令等々の6人のクビが飛んだだけでは
済まず最終的には内閣が総辞職に追い込まれた。
(内閣に関してはWW2でのイギリスチャーチル
似た流れだが、チャーチルは戦時首相としては称えられたのに
対しイスラエルは緒戦の責任を問われた)
つまり<勝っても責任を問われた>


1/何故兆候を掴んだのに合理的判断をしなかったか?
正常性バイアスと予備役の招集は先制攻撃の印と
受け止められかねない為に能動的対処をしなかった、
最低限の予備役は招集した。イスラエルの先制攻撃は
周辺国だけではなくアメリカすら見放し武器輸出等の
制限になりかねないので兆候が有っても動けない足かせになる)


2/何故圧倒的劣勢に為ったのか?
(教義ドクトリンが古くその戦法がシリアとエジプトには
無効だったのに暫くは対処出来ず殆ど特攻同然で
破滅に向かい突撃して2/3が戦死した部隊など多数)

3/地対空ミサイルが暫くはIAFの脅威となり
地上支援が出来なかった
(地対空ミサイルの反応が出来ない超低空飛行を
行ったために実際は機銃による撃墜が多かった)


4/IAFがSAM(地対空ミサイル)の圏内に入れず
偵察が不十分となり敵情が掴めず効果的な
反撃ができない(敵数 目的 隊形 地形等々)

5/一部の指揮官が状況把握が出来ず指揮が不適当だった
(IDFといえど面子を重んじて即時に解任などを出来なかった)

 

イスラエルの諜報がこういうことまでやってるのか?と
戦争準備と大演習の違いを見分け方
「予備役の召集」「休暇取消し」「昇進試験の延期」

シリア軍が演習を繰り返しイスラエル軍
「今度もまた演習だろう」と一部油断した。

無線傍受をする為に敢て無線に切り替えさせた
(つまり有線施設通信設備を破壊した)
シリアやエジプトの情報将校もヘブライ語
流暢に話せる人物がいた
(つまりイスラエルの無線通信が筒抜けであった、
イスラエルもそれに留意し符丁や間接表現などで
凌いだ、今も全てが暗号通信ではないし暗号を解読しても
敵国語が理解できないと意味が無い)

 

何故イスラエル軍の反攻が成功し最終的には勝利したか?
これが結局<スペックだけでは戦争戦争は成り立たない>事で
あり、ネット上でスペックを語り尽くすコメントが溢れ
自衛隊が絶対勝つと傲慢になってるが
(6日間戦争第3次中東戦争イスラエル軍が傲慢に
なったのが第4次で一時劣勢になった原因とも言われる
奇襲された不利もあるが)
そのスペックを優位に用いる戦法が常に通用するとは
限らない、イスラエル軍が射撃技術が上であったこと
指揮官と兵士の資質と士気が高かった事。
自衛隊の訓練では実弾は飛んでこないし音も
衝撃も無いので冷静に撃てる実戦では不発弾もあれば
敵がこちらを狙っていたり弾が飛んできてるので
冷静には動けない)

負傷兵を必ず回収する<姿勢>を崩してないし
攻撃された戦車も修理可能であれば回収し
実際に直戦場に戻ってる。
(つまり兵站も重要で補給についても
多く書かれてる)

太平洋戦争後のアメリカの提督は一部の例外を除き
短命で数年後に死去した事例が多いのとイスラエル
将軍も一部は直に死去してる、アメリカ軍やイスラエル軍
若くして将官になれるので当時の平均寿命としても恐らく
短い、それと比較すると降服後に生き残ってた日本側の
提督はけっこう長生きしている(日本が長寿となったのは
戦後以降が顕著でこの当時はそこまでの差は無い)
日米の差はそれだけの激務の差とも言われてる。
勝った側がこのレベルで負けた側が長生きするのだから
ある意味負けて当然かもしれない。

1/勇敢さと優しさ(部下を亡くし泣いた将校や将軍も普通)


2/戦闘の過程で主導権を握ったほうが勝者
兵士の勇気 指揮官の性格 訓練の行き届いた部隊の卓越した行動
で勝敗は決まる 事実は雄弁


3/ドクトリンに固執してない 地対空ミサイルの脅威にも対抗策を
編み出した


4/戦闘の勝利を戦争の勝利へと転換する
(アフガンイラクベトナムでは米軍がこれを出来なかった)

 


(5日ほど連続戦闘で殆ど眠れず戦車の居眠り運転が
多発したほど)

 

親子で従軍していた事例も珍しくなく
片方が戦死した事例も珍しくない
IDFといえどIDFだからかその場合は
残った側に帰宅を命じても戦場を去らなかった。


絶望的な拠点の撤退(降服)を躊躇して犠牲を生みすぎた
最終的には現場の判断で降服をしたし参謀本部だったか
方面軍司令部の命令で降服を命じた場合もあった。
(この時の上級司令部からの通信交信内容を読むと泣けてくる)