映画レビュー トスカーナの幸せレシピ

 


☆1152
原題< AUANTO BASTA   >イタリア


原題:エクワント バスタ :適量
アスペルガー症候群は比喩や抽象が
理解し難く説明をしてるドライブ中の会話から、
単純に考えると手間がかかると思いがちだが、
具体的説明を欠き誤解を招く説明をするより
詳細に説明し間違いのない行動を促す事は
”生産性上”決して無駄にならない(健常者にも)
それが分らないホリエモンは障害者などは
生産性上は効率が悪いと切り捨てた。


アルトゥーロ カヴァリアリ /ムショ帰り
グイドセルネージ /アスペルガー症候群で抜群の嗅覚
アンナ・モレッリ先生
ジュリエッタ /美少女 コンテスト会場でのウェイトレス的
チェルソ・コンティ/アルトゥーロとマリナーニの偉大な師
マリナーニ /ライバル
エストロ/チェルソが味見をした後にティンバッロを
自分用に持ち帰るのは笑える
邦画ならこっちが美味しいとか勝ちとか言って
説明する・・・多数の観客のレベルが低いから
低レベルの映画を作る悪循環。

グイドの祖父以外はハッピーエンド型

拘置所の檻が開く音
返却された所持品から
アルトゥーロがどういう人物が推測させる
ムショを出た後に誰も迎えに来てないことも


ステレオタイプに見えてしまうがイタリア人
というだけで美男美女に見え
ロングパンツ+Tシャツだけでもカッコイイ
コメディーのイタリア語の語感が笑える

グイドの<忖度なし>の率直発言が爆笑
彼をレポーターにして政治家や芸能人に
質問させれば素晴しい番組が出来そうだ。
忖度をしない彼らの特徴をコメディーで説明
日本の官僚にも見習わせたら日本が良い社会になる。


隠喩は駄目 具体的に
アルトゥーロとマエストロの仲を修復させたのも
グイドの存在
料理コンテストでの成長
アルトゥーロにグイドを預けたのではなく
グイドにアルトゥーロを預けた、映画上の演出とはいえ
近年流行のSDGsもこれに入る


フルパワー
世界に必要なのは完璧なトマトソースだ
(伏線になる重要な言葉)

一番初めの雇われレストランが徐々に繁盛していく

バディ映画でもある
ロードムービーも僅かに
公衆トイレでシラミがうつる
コンテスト会場へ移動中に
トイレによったときにグイドが
元少年達にサッカーでいじられる
障害者差別を軽く描写してる
(しかし最後は点を入れさせたから
あからさまでもない)
渋滞の定義が1台

運転できたら仕事と恋人と結婚
おばあちゃんが夜に泣かなくてもすむ
コメディーなのだが時々深刻な話を軽く入れる
(欧州映画の優れた部分、アメリカの障害者コメディーは下品ネタも多い
この作品にも僅かにH話はあるがアメリカ型と比較すると上品レベル)

マリナーリシェフ イタリアへの帰化
虚栄心の強いメディア好きな料理人の典型
実際は厨房に足を踏み入れもしない


第6回トスカーナヤングシェフコンテスト
初日/材料当て(味覚嗅覚)テスト
→いきなり煩いし隣と近いからと1人後ろに下がる
2日目/アクアコッタ フルパワー
3日目決勝/メディチ家風ティンバッロ


ジュリエッタが声を掛けてきたから
自分が好かれてると、カルト教信者NU並に自意識過剰
勘違い野郎になったグイドが強引にキスをしてトラブルになる。

クソ野郎だったアルトゥーロがグイドと
出会った事で善人に変わる、グイドも僅かに変わる。

アルトゥーロに一流ホテルでのシェフを
任せる話がありそのお披露目とグイドの決勝が重なる
彼は好条件のスカウトではなくグイドの応援を選択

最終的に<誤ったレシピ>をグイドは選ばず
<世界に必要なもの>を選択し負ける

最後はマエストロの知名度と資金で
アスペルガー症候群のスタッフと
アルトゥーロでレストランを開店大成功し
そこへグイドの祖父が危篤と言う知らせがはいり
アルトゥーロとグイドが車で向かう中での
会話で終わり、イタリア映画のコメディーはハリウッド映画とは
また違う笑いで、ハリウッド映画はネタで笑いを取る傾向。

日本では障害者差別が公然と唱えられ自分達が差別するのは
差別ではなく、逆にそれら差別主義者が差別されたら逆ギレで
差別を批判し被害者意識に敏感になる人が多い。
障害者差別だけではなく学歴・ジェンダー・国籍等々で
人種差別以外なら差別をしても差別ではないから日本には
差別がないと言うやつが多いのが不思議。
(テニス大坂なおみ選手批判も”女性””ハーフ”等々の
差別意識が根底にある奴が攻撃する傾向)

障害者は社会の役に立たないとか生産性が低いとか
経済効率のみを人間の判断基準とする日本の生産性が
世界的に見ても低いのは障害者が理由でない事も分ってない。

障害者=感動風味の涙添え ポルノの香り 的な映画が多い
邦画(と1440分TV)と比較するだけ虚しくなるレベル
それでいて決して強く訴えないところもいい
障害者というよりコメディーの部分がよかった。