☆奇癖の一本松 二百三十一




☆奇癖の一本松 二百三十一


 


震災遺構で町役場の骨組みだけとか大川小学校だったか大勢の児童が亡くなった


校舎後を保存するか解体撤去するかが問われている。


 


大震災での遺族がそれらの遺構を見たくない見るのが辛いと思うのは当然の


感情で有るが、だからと言って撤去して50年後100年後に何らかの形で


伝えなくて良いのだろうか。


 


映像などである程度は伝わるかもしれないがやはり実際に目にする事で


体験する事で伝わる。


(観光地ではないから記念写真はご遠慮くださいくらい掲示したらどうだ


50年後くらいにはその掲示は撤去可能だろうが)


 


後世に伝える多くの人に伝える事と個人の感情どちらを優先すべきかだ、


日本は特に遺跡であろうが古跡だろうが古いものは新しくするのがいいという


風潮が罷り通り等閑かつおざなりにされて来た。


 


そしてあの一本松を本当に残す必要が有ったかだ、


世界が驚く日本 酷いですね 世界が蔑視 世界から笑われる 事には無頓着で


即座に否定しない時がすまない。


 


 もちろん今なおあの一本松を見るたびに勇気が湧き感動して、これからも


復興に向けてまい進するとか大震災を忘れる事ができるとか悲しみが癒される


と言う震災被災者が、税金の投入額には換算できないくらい多ければ話は別だ。