僕ちゃん プチ独裁者 ミニヒトラー 

 

イソジン府の対策会議の図


確かヒンズー語で「あちゃー」という言葉は
発音で様々な意味を持つとボリウッド映画で見た覚えがある。


イソジンがコロナ対策会議でコロナに対応してる(つもりの)
ポーズを撮影させていたが、あの配置を見た瞬間
日本語の「あちゃー」と思ってしまった。

政府の会議でも東京都でも普通は切れ目を入れず
長方形にする、アーサー王子は架空だが円卓があれば
円卓が良いに決まってる。

しかしイソジン会議はイソジンが取り仕切る形で
完全独立し中央正面に陣取り、専門家や職員達は
離れて従うように左右正面に配置されて
「見て見て僕は独裁者だよ」とでも訴えるような
スタイルだった。

イソジン様のコロナ感染対策の為>と言うなら
<他の人は感染してもいいの?>となるし
イソジンで嗽すりゃ良いと言ったのは誰?>ともなる。


今までもトップダウンでやってきて
何一つ結果を生んでないのはそのスタイルにも
(もちろん資質判断力思考力がそれ以上だが)
影響を受けた結果だと思う、様々な意見が出て
それでベストを選ぶとか妥協するとか調整するとか
それ<も>政治家に求められる1つの条件だが、
今までのスタイルを変えることにだけ執着し、
恐らくだが<他人に任せることが出来ず>
<他人を尊重する事が出来ず>
<部下/他人の責任を負うことが出来ず>
自分自身の責任も負わない。

ポピュリズム政治家は一般的に演説が
得意だが(単に敵を作って叩いて満足し
聴衆もそれに熱狂するだけというパターンで、
中身は問わないことも多い、現にパチンコ店を
叩いて満足したが全く効果がなかった事が
中身のない事だった)、聴衆を魅了する
演説力・スピーチ力・ジェスチャー等も
ある種の才能的に発揮する場合が多いのに対し
イソジンは先天的にその才能が無い。
(考えてみれば安倍元首相もその才能が有った、
もっともポピュリズムに扇動されるのは
脳みそ洗ってもらって喜ぶ連中だけ)


イソジン会見も小池会見も会見が目的化し
<大阪モデル>だとか、小池は<英語ファースト>で
「ロックダウン・オーバーシュート」とか英語を言えば
メディアも歓喜しリピート(音響係)するだけ。

最近やっとで私は気付いた
イソジンが会見するコロナ対策効果の有無>
「また効果のない事を言ってる、イソジン
投票しなかった有権者と未成年は気の毒で
熱狂した信者は自己責任」

<効果が無いコロナ対策会見時に唇が動く>
これで見分けが出来る。

どういう味がするか知らないが信者の方々
自己責任の味を噛み締めてください。


PS
ハシゲは当然イソジンを擁護するので
セットで地盤沈下人気低下で凋落しつつある、
今まで散々敵を叩いたクセに大阪・イソジンとなると
歯切れが悪いどころか<狂ってるイソジンを必死に擁護>で
イソジンは疲れてる」と意味不明の擁護論を出した、
「だったら元気な時は叩いて良いのか?」
「体調を公表しないと批判出来なくなる」・・・

批判者は無責任だとか言うが今まで自分も散々
無責任に他党をTVで批判してきたがその無責任は
どう整合性をつけるのか?