レビュー エンテベ空港の7日間

 


סיירת מטכ"ל

☆1110
原題< 7DAYS  IN  ENTEBBER  >        
邦題「  エンデべ空港の7日間    」2017英米

01 1976年6月27日
02 犯人たちの要求
03 エンテベ空港
04 革命
05 監禁
06 人質の解放
07 最終確認
08 最後の電話
09 激戦
10 事件の幕切れ

Sayeret Matkal
(ヘブライ語: סיירת מטכ"ל)
参謀本部-長距離偵察ユニット(実際はDAやBOを行う事も多い、
アメリカのデルタ、ロシアのАに該当)
現在イスラエル軍に15以上あるSOFのベストオブベスト、
戦争ごっこをしてるテロリストと西側ではトップクラスのIDF SOFと錬度は
雲泥の差、イスラエル軍兵士は民間軍事会社(傭兵)の中でも
世界一高く評価されてる(アメリカ軍が近年大規模戦闘を
してない事で実戦経験が鈍ってるのに比べイスラエルは常時戦時下)
この事件はIDF(とマトカル)の数多くの成功事例の1つで
イスラエル国防省が広報で取り上げ参加した兵士の画像まで
公開してる。(大規模作戦前には集合写真を撮る慣習があるのか
大抵の作戦前集合画像がある、自軍の損害予測まで立て実行してる)

成功したのはウガンダ軍とテロリストの低レベルとIDF(とモサド)の
<情報収集・分析><計画・作戦><訓練/平時と事前訓練*>
<実戦経験=戦訓><集中投入><柔軟性*><ぺネトレート>
<エクストラ>があったからこそで、兵器の優劣(スペック)は
殆どの戦闘でも要因の1つに過ぎずスペックを語りつくすのは
惨め愚か平和ボケ、テロリストが発砲を躊躇したがマトカルが躊躇わない、
発砲=命中で(でなければあれだけ敵に損害を与えられない)                  スペックと戦闘は別次元の話(作戦前に敵を侮っていない、作戦”成功後”の
AARやBDAも客観的に行っている、失敗した作戦や戦争があれば教訓として必ず
変革を行う、常時戦時下にあるに等しい為戦訓には事欠かずIDFが
西側世界一とも称される理由の1つ、負傷者を見捨てない
降服した兵士を英雄視して見放さない、人事制度も
信賞必罰で失敗すれば上層部は解任され成功すれば参謀総長
夢ではない=太平洋戦争中の旧日本軍の真逆)

*マトカルが出動する場合は通常1ヶ月の演習を繰返す
UBL暗殺時のシールズすら2週間以上降下突入訓練を繰返した。

*戦時に指揮官が倒れた時、指揮継承は同階級や先任と
限らず1番優れた者を指名したり部隊編成も戦闘時は所属を越えたり
前線指揮官への権限委譲等々。


ダンスが戦闘の比喩(IDF戦史で戦闘の展開をダンスの振付で比喩で解説し
空港での戦闘全て描写してない)
テロの実行犯が使い捨ての下っ端というのは今も昔も
(ハイジャック犯がアッパークラスに座るのも)

ラビン首相は強硬手段を選びたくなかった
イスラエル首相執務室(別名水族館)が古いビル内にあるのも事実
イスラエルは放蕩国家財政運営はしない
シモンペレス国防大
国防省の作戦司令部(ピット)も
当時はああいう雰囲気だった可能性がある。


バーダーマインホフも関連があったのか・・・

ウィキペディアに書いてるエンテベ空港事件の
その通りの流れで特別分かったこともないが
(ハイジャック犯達がユダヤ人を選別した事が
さすがにイスラエルの後押しをした事程度)

分隊長か小隊長ジーヴのプライベートまで
描く必要があったのだろうか?

拷問される青年はローンソルジャー

ウガンダのアミン大統領が<天寿を全う>だとは
20世紀最悪の独裁者の1人、アフリカに沢山いる、いた
残酷な指導者の1人、世界各地に存在中か、
した無能な最高責任者の1人

出演者に大物が揃っていた。
女テロリスト役ロザムンドパイクはドイツ語も話せるのか.....
ダニエルブリュールはともかく(彼はトリリンガル?)
ラストは本物の映像を見せてるが
当時からイスラエル軍は広報宣伝も重視
(IDFの広報の質とセンスも世界トップレベル、
軍が直接実戦映像の公開をするのはアメリカ軍でさえあまりしない)

残ると言った尼僧と実際に残ったクルー達は立派
(女性クルー達が帰国しても問題なかった)

選別時に怯えた高齢女性はユダヤ強制収容所絶滅収容所)の
ホロコーストサバイバー(イスラエル国内では日本で想像が
出来ないほど敬意を払われてる)

テロリストが言う「殺す覚悟と死ぬ覚悟はあるのか?」
平時勇ましい事を言う奴が戦時に役立たずは世界共通

サンダーボルト作戦
フライトシーンがCGなのは残念
さすがにC-130を4機飛ばすのは難しい
1時間1機500万円はきつい

ネタニヤフ中佐KIA、中東戦争でも活躍した
IDFは<指揮官先頭>を実践し戦時に大佐(旅団長)レベルの
戦死も珍しくなく准将少将まで戦死した事もある
中佐がブリーチャー(ドアキッカー)で最初に突入したのも
IDFの教則上では不思議ではないが他国なら高級将校が
最初に突入しない(1番危険)

人質になったらすべき事生死を分けることを示し
人質になったらすべきでない事を政府が具体的に示す国

ヨルダン
テルアビブ
マルタ共和国マルタ共和国軍)