アフガニスタン戦争 収支計算

 


☆アフガン戦争


45分6シリーズの最終をやっとで見終えた
好きなときに見れるという事は焦らず
暫く見ないとか、有るのは知ってるが永遠に見ない事も。

シリーズ5まではコンスタントにみて最終は
見始めて20日後になって完了。

シリーズ5までのまとめと帰国後の兵士達を描き
アフガン国内での展開や実戦は殆どない。

半年の派遣でその従軍取材した中隊で
1名戦死、3名重傷で連隊規模で7名戦死
(単純に5倍程度の負傷者がいるから
40名ほどの負傷者がいた計算になる、中隊で
全治4日程度の負傷者がいたが軽傷者で除外してる)

その3名の内の1人は左足の膝下切断、もう1人は
切断は免れたが松葉杖を一生手放せないほど歩行困難
(こういう言い方も失礼だが切断しなかっただけ
ある意味幸運だったといえる)
3人目は切断する箇所はなかったが300個もの破片を浴び
大量の輸血と150針も縫う重傷だったが奇跡的に回復した
外傷は消せず歩き方は若干不自由だがIEDの洗礼を受け
重傷を負った割には不幸中の幸いに回復してる。
(ここでもイギリス・NATOの医療搬送や医療システムが
発揮されていた、NATOと米軍は病院を共同運営して
同一病院に多国間スタッフがいたりするから同等レベル)


因みに全員がIEDによる負傷でアフガンイラク
戦死者の半分はIEDで、足を吹き飛ばされたら
ゴールデンアワー以内で処置しないと死亡しかねないので
それだけTCCCとMEDEVACが重要。


帰国した部隊を先に負傷帰国した3人のうち2人か出向かえ
特に最後の300針のポールだったかピエールが
「彼が命の恩人だ」という兵士に会いたがり
出口から出てきた恩人にハグをして泣いて感謝した
シーンが、似たような状況だったアメリカ陸軍兵士が
救ってくれた軍曹に同じ事をしたのを思い出させた。


左足を切断したのが部隊長の中尉でアフガン住民達に
必死に「私達はこの村の平和と安定の為にいる」と
通訳を通してその意義を語り(彼とイギリス軍の目的で
中尉は特に熱心だった)、タリバンと思しき奴に言ったのが
「武器を手にすればお前達をぶっ殺す」と警告する
熱血漢だった、足を切断しても競技用義足でトラックを
走るような切替も早いしTVカメラの前だからか
悲観してなかったのが救い。


アフガンに派遣した国で戦死者と負傷者の数だけ
上記のような物語がある、そして日本国内で
語られる兵器中心の解説とはかけ離れた戦争の実態、
仮に自衛隊が国連中心とはいえ海外派遣で危険地帯に
部隊派遣をすればアフガン戦争ほどでもないだろうが
遅かれ早かれ何れは戦死者が出る、その時にその意義と
犠牲のバランスを説明できるか?