事故死したキーティング少尉が名前由来

 

☆OP

映画アウトポストで見る前にちょっと調べてみた
アメリカ陸軍はなんと<278ページ>もの
ケーススタディーとしての反面教師的な
レポートを作成し学ばせていた。
(他にもレポートがあり合計数は300ページ分あるはず)

(流石にきつ過ぎ)ほぼ目を通してないが
詳細に分析して空軍の航空支援(近接のみならず
B-1やAC130なども)の爆弾投下量まで書いてる。

太平洋戦争中に日本軍が一部は詳細に記録したが
それは開戦から有利な間だけで記録しても
沈没した艦艇に残るわけがなく不明になる場合もあるが
アメリカ軍も同じだが絶対数が少ない)
アメリカ軍は記録に残し分析する事などが重要だと
分ってるから当時も今も残してる。

単に公開してないだけで実際には詳細な記録が残り
例えば戦死者の検死も行い死因も記録するし
発砲した弾約数も詳細に残す(撃った数は
覚えてなくても残った数で分る)

そして一部は実際の映像も残っていたし
アメリカ国内では査問委員も開かれた
(確か中隊長が処分されたが本来は
旅団長か師団長が処分されるべきなのに
そこまではなされてない/師団に所属してるのに
統括してるのが旅団である理由が分らない、師団が
丸ごと派遣されず連隊で抽出され旅団所属になったのだろうか?

アメリカ軍8/KIA  ANA(SOF)1/KIA
     23/WIA ANA(SOF)9/WIA
     (ハンヴィー6両全部損壊)


タリバン 約60~80/KIA
     約40~70/WIA


この死傷者数をどう捉えるか?一見するとアメリカ軍が少ないし
一応基地は防御し撃退した上にタリバン側の死傷者が多い、
しかしキルレーショーが 9:70 (アメリカ軍のみで対比すれば1:10と同じ)
でも<命の価値が全く違う>、タリバンが死亡したら<天国へいける>と
殉教者になる上にタリバンには選挙がないので全土で残りが1万人程度でも
続行できる、しかしアメリカ軍は1日で8名死亡し基地にタリバンが侵入してきたら
アフガニスタンテト攻勢>とも受け止められ政治的なダメージが大きい。

 

映画ではその日1日の戦闘を描いてるが
実際には週に1度とか散発的に嫌がらせみたいな
攻撃はどこの基地も発生してた。

 

PS
アメリカ軍などが作戦計画を立案し
積極攻勢に出て失敗した作戦ではなく
基地が攻め込まれ多数の犠牲者を出したという点で
特異というか数少ない事例。
(陸軍のブロークンアローが1965年ベトナム戦争以来
発生した稀有な例でもある、空軍の核兵器事故とは違う
陸軍のブロークンアロー)


映画ローンサバイバーがその積極攻勢作戦の
失敗事例として有名

 


21機 空軍のべ支援機数(MEDEVACヘリを含む)


12機 陸軍のべ支援機数
(3機もAH64が銃撃で支援が出来ず修理の為に
引換えした戦闘時間が長く15時間くらい続いたので
修理する時間もあったがアメリカ軍だから修理出来た)

この時のAH64が対地射撃する様子を国防省
映像公開してる(パイロットと地上の会話も)
参加兵士達が<憲兵>に<インタビュー>されてるが
それも一部公開されてる(ただし抜粋)、
聴聞というか聞き取り調査をしたのだろう、軍法会議などの
取調べのインタビューではない。

 

もう1つ蛇足に蛇足が加わるが
それらレポートの巻末には基本的に
参加した部隊の詳細と
<略語の詳細>が記載されるので
時々私が嘲笑するがCIWSとかVLSとか
ハードの略語ではなくアメリカ軍が頻用する
ソフト系の略語が分る(例えば階級の略称とか
敵が基地内に侵入してきたという略語など、
この事例はベトナム戦争以来発生してなかった)

もちろん軍事に詳しい人にCIWがなんの
省略が説明するまでもない、ネット上は自称
軍事に詳しい人々が多い。

スタックス
最低600フィートの高度差で滞空


U2

GLOBALHAWK

B1


F15

F16

AC130  

A10

PREDATOR /REAPER

REDROFGE

AH-64

(HH-60/UH-60/CH-47)

 


37発のGBU 合計16トン
(GBU-31/2000ポンド 、GBU-38/500ポンド)

2ヘルファイアミサイル

2.75インチロケット弾

30mmキャノン砲、20mmキャノン砲

 

最終的に2009年10月7日(戦闘は3日早朝5時くらいに発生し
半日以上継続した)コップキーティングと、オーピーフリッチは
B1爆撃機で米軍自ら破壊した、放棄するだけならC4などで
破壊すれば済むが<起爆装置の不具合で不発>だったというから
最後まで運に見放されてる。

無線連絡の内容も一部記載されてるが
レポートの冒頭に断り書きがある
<不快を伴う内容>もあると・・・・・
負傷後死亡したした兵士の具体的内容(RPG近くで
爆発し狙撃され両足切断)とその彼が発した言葉
(21歳のその彼の実名まで・・・遺族もいたたまれない)

基本的に実名で証言するからB1パイロット名まで分り
ウィキには記載されてないが、実際はラトビア兵2名もANA以外の
同盟軍として参加していた(幸いにもこの戦いでは戦死してない)